「仕事が休みの日に、家族を置いて一人で遊びに出かけることにどこか罪悪感のようなものを感じてしまう」
僕はこれを“グッド・ダディ・シンドローム”と名付けた。
自分は「良い父親(あるいは夫)だ」と思い込み、自らの人生においてその役を演じるのだ。
行動規範はすべて「良い父親(あるいは夫)であれば、そういった行動(あるいはふるまい)をするか否か」だ。
「良い父親」と一言でいっても、その内容は十人十色であろう。
参考までに僕が考える「良い父親」とは何か、を挙げてみる。
1.優先順位は常に家族が筆頭である
ワーク・ライフ・バランスが叫ばれて久しいが、日々の生活において最優先すべきは家族であると考えている。その中でも妻のことがまず第一である。
なぜならば、妻は子供のことが第一優先になりがちだからである。妻自身をケアし、尊重し、支えるのは夫の役目だ。
では自分はどうなのか。自分のことは誰がケアし、尊重し、支えてくれるのか。簡単なことだ。他ならぬ自分自身であると考える。
妻や子供の笑顔を守り、家族の幸せのために何をすべきか、日々のミッションを達成することで得る自己満足で、自分で自分の機嫌を取るものと考える。
2.仕事は真面目に取り組み、その姿勢を背中で子供に語るようにする
僕が子供のころ、父親はあまり家にいなかった。仕事をしていたからである。だからこそ、たまの休みは父親と過ごせることが嬉しかった。
在宅ワークも増えたので、家に父親がいても何も問題ないと思うが、とにかく父親といえば仕事であると考える。
今の時代は父親とか母親とかではなく、「親=仕事」であると考えるほうが妥当かもしれない。子供が生まれた以上、親は何かしらの仕事をして、報酬を得て、家族を養っていかなければならないと考える。そして、その姿勢が子供にとって何かしらを教える身近な教材になるものと思う。
家で仕事の文句や愚痴をこぼすのはあまり見た目の良いことではない、子供にとって仕事をすることは誇るべきことであると感じてもらうためにも、親の仕事に対する姿勢は常に気をつけていなければと思う。
3.夢中になれる趣味があり、人生を謳歌している
昨今のキャンプブームやDIY、ジムやサウナなど、趣味を持つことが当たり前の風潮である。一昔前であれば「仕事が趣味」という考えもあったと思うが、今はやや古いと感じる。
趣味を持つことは人生を豊かにし、人としての器を広げ、趣味関連のコミュニティを持つこともまた人間関係形成において重要な役割を持つだろう。
仕事以外の夢中になれるものを持っている大人が身近にいれば、子供は大人って楽しそうだなと思うだろうし、一緒に体験できる趣味であればなおさら子供にとっても良い影響を与えることは自明であるだろう。
4.その他、細かいふるまいや言動など
・優しい ・力持ち ・機械に強い ・運動が得意 ・宿題を教えられる ・車での送迎が積極的 ・フッ軽 ・面白い ・きれい好き ・息子には男としての役割や生き方を教える ・娘にはどんな男を選べば良いかを教える ・妻にメロメロ ・料理が得意 ・庭作業が得意 ・動植物に造詣が深い ・音楽や映画など文化的なものに造詣が深い ・スポーツに造詣が深い ・政治経済に造詣が深い ・活字中毒者 ・ビール愛好家 ・コーヒー愛好家 ・甘いもの好き ・筋トレが好き ・自分の普段着には無頓着だが、ファッションの流行は把握している ・家事の中では洗濯が好き(洗濯機を回す、干す、取り込む、アイロンがけ、たたむ、所定の位置に戻すところまで) ・皿洗いにこだわりがある
上記を踏まえ、普段の生活の中で「良い父親」であるという認識を持つことで、行動が変わり、自分の行動によって自分自身が洗脳されていく。
そうするとあるときふと、自分が家族から離れて一人で遊びにでかけられるような状況が訪れても、思うように行動に起こせなかったりする。
一人の時間ができたとき、図書館や本屋、美術館や博物館など知的好奇心を満たす場所へはでかけられるが、サーフィンやスカッシュ、釣りやゴルフは何となく気が重くなる。
恐らく、スポーツをレジャーとして、遊びであるととらえているという偏見が自分の中に芽生えているのかもしれない。
遊びであるから、そこから何か学べるものは少ない、同じ時間を使うなら読書をしたほうが良い、そのほうが良いインプットができるだろうと考えているのかもしれない。
見方を変えれば、音楽や映画も遊びであると考えれば、一人でやってみようと思わない。人によっては「フライフィッシングは最高の学びである」と考える人もいるだろうし、「麻雀は人生そのものだ」と考える人もいるだろう。
恐らく今の僕は「グッド・ダディ・シンドローム」の症状を抱えているだろう。
ところがそれは、自分自身がこれまでの人生の中で培ってきた「理想の父親像」に自分を近付ける行為と、現実が伴わないジレンマを抱えているだけに過ぎないのかもしれない。
なぜならば「理想の父親像」とは十人十色であり、それは偏見に満ちた、色眼鏡というフィルターを通して見ているモノだからである。
コンプレックスに近いかもしれない、結局のところ解決策は「開き直り」しかないのだが、いましばらくは自分の行動規範は「グッド・ダディ」で良いと思う。
万が一、「理想の父親像」に自分がなれたと思えた時、その時もまた「グッド・ダディ・シンドローム」が完治した時なのだと思うから。
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